超人プロ誕生秘話|YouTube前夜の超人発掘と動画制作パイオニアの軌跡|実録
- 賀出泰崇|超人プロ

- 2025年7月4日
- 読了時間: 17分
更新日:2 日前
2006年。
まだスマートフォンはなく、「YouTuber」という職業も日本では存在感を持っていなかった時代。
私はビデオカメラを片手に日本全国を飛び回り、まだ世の中に知られていないスゴ技・神業の持ち主を探していました。
リサーチ、スカウト、出演交渉、ロケハン、企画演出、動画撮影、インタビュー、編集、そしてインターネットへの動画公開。
今なら一人の動画クリエイターやYouTuberが行う一連の仕事として理解されるこの工程を、2006年から一人で実践していたのが「超人発掘列伝Theパフォーマーズ」です。
その活動は、約3年3か月で約60組100名超のパフォーマー発掘へ発展し、やがてパフォーマー専門プロダクション「超人プロ」誕生へつながりました。
そして、ネット動画の中だけで始まった企画は、フジテレビ主催のお台場イベント、テレビ番組、キャスティング、ステージ演出へと飛び出していきます。
この記事では、2006年に撮影された秘蔵ドキュメンタリー映像と当時の記録をもとに、超人プロがどこから始まり、なぜ現在の活動へつながっているのかを振り返ります。
2006年8月13日 原宿ジャック
ストリートパフォーマンスStreet Performanceここから超人伝説は始まった。。。

2006年の密着映像が映していた「超人プロ誕生前夜」
2006年、私はまだ株式会社超人プロの社長ではありませんでした。
当時の肩書は「超人発掘列伝Theパフォーマーズ 団長カイデ」。
日本全国から驚異的な能力を持つ人物を探し、その魅力を動画として世の中へ送り出す企画を担当していました。
その活動を密着取材した映像が残っています。
撮影・編集を担当したのは、当時フジテレビ『とくダネ!』に携わっていたスタッフ。
人物を追いかけ、仕事、挑戦、葛藤を映像で伝える構成は、私自身が長年憧れてきた『情熱大陸』や『ザ・ノンフィクション』を思わせるドキュメンタリーでした。
14年間眠っていたその秘蔵映像を、2020年に初公開しました。
🎥 超人プロのルーツ|情熱大陸&ザ・ノンフィクション風ドキュメンタリー映像
映像を見ると、現在の超人プロやPUSH-UP THE HEROにつながる思想が、すでにこの時代から存在していたことが分かります。
「まだ知られていない才能を見つけたい」
「一人では世の中へ出られない人へ舞台をつくりたい」
「普通ではない能力を、エンターテインメントとして成立させたい」
これは20年近く経った現在も変わっていません。
超人プロの原点「超人発掘列伝Theパフォーマーズ」とは
超人発掘列伝Theパフォーマーズは、フジテレビ出資の動画共有サイト「ワッチミー!TV」と共同で立ち上げたパフォーマー発掘型の動画コンテンツ企画です。
ワッチミー!TVは2006年7月13日にβ版を公開。
当時の報道でも、サービス開始時の独自企画として「パフォーマーを発掘する『超人列伝-ザ・パフォーマーズ』」が紹介されていました。
つまり、後から過去を美化して「実はやっていた」と語っているのではありません。
2006年当時から、動画共有サイト上で実際に存在していた企画です。
現在もInternet ArchiveのWayback Machineには「超人発掘列伝 The パフォーマーズ」のページが残っており、逆立ち、縄跳び、デビルスティック、クリスタル、一輪車、フレア、ビートボックスなど、当時発掘した数多くのパフォーマーを確認できます。
YouTube日本語版より約11か月前から始めていた動画制作
ここが、この企画を今振り返るうえで非常に重要なポイントです。
超人発掘列伝がスタートしたのは2006年7月。
一方、YouTubeの日本語版ホームページが開設されたのは2007年6月19日です。
約11か月早い。
もちろん、私が「日本最初のYouTuberだった」と主張するつもりはありません。
YouTube自体はすでに海外で急成長していましたし、日本にも早い時期から動画投稿を始めていたクリエイターは存在しました。
しかし、当時私が実際に行っていた仕事を現在の視点から並べると、非常に興味深いことが分かります。
現代のYouTuberの原形に近い8つの仕事を一人で完結
超人発掘列伝では、単にカメラの前へ出演していたわけではありません。
企画の裏側で私は、次の工程をほぼ一人で担当していました。
① リサーチ
テレビ、新聞、雑誌、インターネット、大会情報、口コミなどから、全国に眠る未知の才能を探します。
今のようにSNSで検索すれば本人へすぐ到達できる時代ではありません。
「どこにいるのか」から探す仕事でした。
② スカウト
候補者を見つけたら、その人物が本当に映像コンテンツとして成立するのかを確認します。
記録の凄さだけでなく、技の見た目、人物の個性、ストーリー、将来性まで判断していました。
③ 出演交渉
本人、家族、所属団体、施設などへ連絡し、撮影の目的や掲載方法を説明します。
未知の動画共有サイトで見知らぬ人間から突然「あなたを撮影させてください」と連絡が来る。
今以上に警戒されて当然の時代です。
そこから信頼関係を作る必要がありました。
④ ロケハン
技を最も魅力的に撮影できる場所を探します。
屋内なのか、屋外なのか。
床の広さ、背景、光、観客との距離、安全性。
パフォーマーの能力を映像で最大化するためには、場所そのものも演出の一部でした。
⑤ 企画・演出
ただ技を撮るだけでは動画にはなりません。
何を最初に見せるのか。
インタビューをどこへ入れるのか。
どの技をクライマックスにするのか。
視聴者が短時間で「この人は何が凄いのか」を理解できる構成を考えました。
⑥ 動画撮影
ビデオカメラを持って本人のもとへ出向き、自分で撮影します。
現在のスマートフォンのように、撮ってその場で確認し、数秒でSNSへ公開できる環境ではありません。
撮影そのものが一つの制作作業でした。
⑦ インタビュー
技だけではなく「なぜ始めたのか」「何を目指しているのか」「どれだけ練習したのか」を本人から聞き出します。
私は昔から、記録や技以上に、その裏側にある人間の物語に情熱に興味がありました。
⑧ 動画編集・公開
撮影素材を編集し、一本のコンテンツとして完成させて公開する。
リサーチから公開まで一連の工程を一人でつなぐ。
これはまさに、後に一般化していく動画クリエイターの仕事そのものです。
「YouTuberのパイオニア」と表現する理由
今では、動画クリエイターが自分で企画を考え、自分で撮影し、自分で編集し、自分のメディアで公開することは珍しくありません。
しかし2006年当時、テレビ映像はテレビ局がつくるもの、芸能人は芸能事務所が売り出すもの、出演者は制作会社がキャスティングするものという分業が一般的でした。
私はそこを全部つなげました。
発掘する。交渉する。企画する。撮る。聞く。編集する。公開する。
さらに、自分が出演者になることもありました。
現代のYouTuberという言葉にそのまま当てはめるのではなく、正確に表現するなら、
「現在のYouTuber・動画クリエイター型のワンマン制作スタイルを、日本の動画共有サービス黎明期から実践していた存在」
だと考えています。
「自分を撮って公開する」だけではありません。
まだ世に出ていない人物を見つけ、その人自身を一つのコンテンツとして世の中へ送り出す。
現在でいえば、
YouTuber × ディレクター × キャスティング担当 × プロデューサー × 芸能マネージャー
を一人で兼任していたような状態でした。
私が「YouTuberのパイオニア」という言葉を使う理由は、単に動画投稿が早かったからではありません。
現在の動画クリエイターに通じる仕事の構造そのものを、2006年から実践していたからです。
最初の動画は「縄跳び超人の6重跳び」
超人発掘列伝の最初期に撮影・公開したのが、縄跳び超人による6重跳びでした。
一本の縄を一回のジャンプ中に6回転させる。
説明だけでも凄さが分かりやすく、短い動画でもインパクトが伝わる。
「誰が見ても一瞬で凄いと分かる才能を映像で伝える」
この考え方は、超人発掘列伝の基本になりました。
後に、
逆立ち超人。
クリスタル超人。
デビルスティック超人。
一輪車超人。
フレア超人。
ビートボックス超人。
フリースタイルバスケットボール超人。
さまざまなジャンルへ発掘対象は拡大していきます。
3年3か月で約60組100名超を発掘
2006年7月から2009年10月まで。
約3年3か月にわたり、世界記録保持者、世界チャンピオン、全国レベルの競技者、まだ無名だった若い才能など、約60組100名超のパフォーマーを取材・発掘しました。
重要なのは人数だけではありません。
当時は今ほど「パフォーマー」という言葉が一般的ではなく、卓越した技術を持っていても、自分を売り出す方法が分からない人が少なくありませんでした。
テレビへ出演したい。
大きなステージに立ちたい。
自分の技を多くの人へ見てもらいたい。
しかし、芸能事務所へ所属するようなジャンルでもない。
その才能をどう社会とつなげればいいのか。
超人発掘列伝を続ける中で、私は一つの問題に気づきました。
発掘した後の出口がない。
動画へ出演して終わりでは、才能を継続的に支えることはできません。
だったら自分で、その出口までつくればいい。
その発想が後の「株式会社超人プロ」につながっていきます。
日本のパフォーマンス界へ投じた一石
超人発掘列伝Theパフォーマーズが目指していたのは、単に珍しい技を持つ人を動画で紹介することではありませんでした。
当時はまだ一般社会で「パフォーマー」という職業自体の認知度が高いとは言えず、世界レベルの技術を持っていても、その才能をテレビやイベントの仕事へつなげるルートは限られていました。
そこで、まだ無名だったスゴ技・神業の持ち主を発掘し、人物と技を映像化して世の中へ届ける。そしてテレビやリアルイベントへつなげていく。
2006年から続けたこの活動は、日本のパフォーマンス界へ一石を投じる取り組みになりました。
その後、2009年から2013年頃にかけては、現在では考えられないほど多くのスゴ技パフォーマーや達人がテレビ番組へ登場する時代を迎えます。
いわば、日本のエンターテインメントにおける**「第一次スゴ技ブーム」**です。
超人発掘列伝だけがそのブームを生み出したわけではありません。しかし、ブームが本格化する以前から全国の才能を発掘し、動画で可視化し、テレビやイベントへ送り出してきた活動の一つとして、当時まだ認知度の低かった「パフォーマー」という存在を世の中へ広げ、その職業価値や活躍の場を押し上げる一端を担ったと考えています。
「凄い技を持っていても、知られていなければ存在しないのと同じになってしまう。」
だから発掘する。
だから撮る。
そして、舞台へ送り出す。
この思想こそが、後の超人プロへ受け継がれていく原点になりました。

ネット動画からリアルステージへ
超人発掘列伝の大きな転機は、インターネット上で紹介していたパフォーマーたちが、実際のイベントステージへ出演するようになったことです。
画面の中で見ていたスゴ技が、観客の目の前へ飛び出す。
動画コンテンツがリアルイベントへ変わりました。
しかも舞台となったのは、フジテレビ主催のお台場イベントです。
私は「カイデ団長」としてパフォーマー集団を率いるだけでなく、ステージ演出・ディレクションも担当しました。
後に超人プロが得意分野とする、
発掘 → キャスティング → 演出 → 出演 → マネジメント
という一連の仕事は、この時代に形づくられました。
フジテレビ主催イベントへの興行出演歴
この出演実績は、超人発掘列伝から超人プロへ発展していった歴史そのものなので、当時の記録として残します。
合計39日間・140公演のエンターテインメントショー実績。
カイデ団長として、初めて本格的なステージ演出・ディレクションを任された時期でもあります。
★お台場合衆国 ~レッドカーペットステージ~2009年8月|夏イベント|2日間2公演
★お台場冒険王ファイナル2008年7月~8月|夏イベント|7日間13公演
★冒険王スタジアム ワッチミーナオーディション20082008年8月|夏イベント|ゲスト出演
★ザ・冒険王2007 -超人祭-2007年8月|夏イベント|4日間14公演
★お台場学園2007 -文化祭-2007年4月~5月|春イベント|9日間45公演
★HOT FANTASY ODAIBA 2006-20072006年12月~2007年1月|冬イベント|16日間66公演

この時代から現在までのフジテレビ関連活動については、お台場冒険王2023×超人発掘列伝Theパフォーマーズ|筋トレ・腕立て伏せイベントでも紹介しています。
画面の中の才能を「仕事」に変えたかった
超人発掘列伝を続けていく中で、私の目的は次第に変わりました。
最初は「面白い人を見つけて動画にしたい」。
しかし、才能あるパフォーマーと出会う人数が増えるにつれ、
「この人たちがもっと活躍できる場所を作りたい」
と思うようになりました。
動画に一度出演するだけでは人生は変わりません。
テレビ。
CM。
企業イベント。
ステージ。
ライブ。
広告。
商品PR。
才能と仕事をつなぐ仕組みが必要でした。
そこで2007年、パフォーマーを専門に扱うプロダクションとして超人プロを設立しました。
現在の超人プロ キャスティング実績につながる原点です。
元パフォーマーだったから見つけられた才能
私自身も、もともとは出演者側の人間です。
『筋肉番付』三色筋肉。
マッスルミュージカル。
腕立て伏せパフォーマンス。
自分自身が舞台に立ち、オーディションを受け、結果を出し、同時に挫折も経験しました。
だから、スカウトする側になった時も「プロフィール」だけでは人を判断しませんでした。
一発で観客を驚かせる力があるか。
テレビで一瞬映った時に何者か分かるか。
本番で再現できるか。
練習を続けられるか。
人として信頼できるか。
そして何より、
本人が自分の才能を信じているか。
現在の超人プロでも、この考え方は変わっていません。
パフォーマーを「商品」として見るのではなく、その人しか持っていない能力をどう世の中へ届けるかを考えます。
渋谷スクランブル交差点を金髪タンクトップで走り回った時代
超人発掘列伝の時代を思い返すと、自分でも「よくあれだけ動けたな」と思います。
ビデオカメラを持って全国へ行く。
初対面の人へ取材交渉する。
企画を考える。
撮る。
編集する。
イベントが決まれば出演者を集める。
ステージが始まれば自分も団長として出演する。
東京都内では、渋谷スクランブル交差点をはじめ人の多い場所で、金髪・タンクトップ姿のままゲリラ的に撮影したこともありました。
今考えれば怖いもの知らずです。
しかし、あの頃は「これをやったらどうなるんだろう」という好奇心の方が圧倒的に勝っていました。
機材も環境も今ほど便利ではありません。
視聴回数が保証されるわけでもありません。
フォロワーが増える仕組みもありません。
それでもカメラを回しました。
なぜなら、目の前に「誰も知らない凄い人」がいたからです。
現代のクリエイター時代だからこそ価値が分かる
現在はスマートフォン一台で撮影、編集、公開までできます。
TikTok、YouTube、Instagram、X。
個人が世界へ発信できる環境は当たり前になりました。
だからこそ、2006年の活動を今振り返ると、自分でもその意味が以前よりはっきり分かります。
私はYouTubeというプラットフォームの未来を予測していたわけではありません。
「将来YouTuberという職業が生まれる」と考えていたわけでもありません。
ただ、
面白い才能を探し、会いに行き、自分で撮り、自分で編集し、自分でネットへ公開する。
それを誰かに言われる前からやっていました。
結果として、そのスタイルが後の動画クリエイター文化と非常に近い形になっていた。
だからこそ私は、超人発掘列伝を**「現在のYouTuber原形スタイルを先取りした活動」**として残しておきたいと思っています。
「パイオニア」は肩書ではなく行動の積み重ね
パイオニアという言葉を、自分を大きく見せるためだけには使いたくありません。
重要なのは肩書ではなく、何をいつ実行したのかです。
2006年7月。
動画共有サイトの黎明期。
全国から未知の才能を探す。
直接会いに行く。
出演交渉する。
撮影場所を決める。
企画を構成する。
カメラを回す。
本人へインタビューする。
編集する。
ネットへ公開する。
そして、動画で見つけた人物を現実のステージへ連れていく。
さらに、その人たちを継続的にマネジメントする会社をつくる。
この一連の事実こそが、私にとって「パイオニア」という言葉の根拠です。
腕立て伏せもまた超人プロのルーツだった
超人プロの歴史を語るうえで、もう一つ欠かせないものがあります。
腕立て伏せです。
私はプロデューサーになる前から、腕立て伏せを武器にパフォーマーとして活動していました。
そして超人発掘列伝では、今度は自分が「超人」を探す側になりました。
自分自身が限界へ挑戦してきたからこそ、他人の規格外の能力にも強く惹かれたのだと思います。
2022年に立ち上げたPUSH-UP THE HEROは、突然生まれた新規事業ではありません。
筋肉番付。
マッスルミュージカル。
腕立て伏せパフォーマンス。
超人発掘列伝。
超人プロ。
パフォーマーキャスティング。
イベント演出。
そのすべてがつながった先にあります。
「無名の才能を発掘する」という使命は今も変わらない
2006年から私が最も興奮する瞬間は変わっていません。
まだ誰も知らない人を見つけた瞬間です。
有名人を呼ぶことだけがキャスティングではありません。
テレビ出演歴がなくても、フォロワーが少なくても、とてつもない能力を持っている人は日本中にいます。
むしろ、誰にも知られていない人の中から「これは凄い」と思える才能を見つけ、世の中へ送り出すことに大きな価値を感じます。
超人発掘列伝が終わっても、その精神は超人プロへ残りました。
そして現在は、PUSH-UP THE HEROの「HIDDEN HERO」や各種挑戦企画にも受け継がれています。
媒体がワッチミー!TVからYouTube、SNS、Webサイトへ変わっても、
「まだ知られていない本物を探す」
という目的は同じです。
よくある質問
超人発掘列伝Theパフォーマーズはいつ始まった?
2006年7月です。
フジテレビ出資の動画共有サイト「ワッチミー!TV」のサービス開始時から展開されたパフォーマー発掘型コンテンツでした。
YouTubeより先に始まったの?
YouTube自体は2005年に米国でスタートしています。
一方、超人発掘列伝が始まった2006年7月は、YouTube日本語版が2007年6月19日に開設される約11か月前です。
したがって「YouTubeそのものより先」ではなく、YouTube日本語版の本格展開より前から、日本で動画制作・発掘・公開を一体化した活動を行っていたという表現が正確です。
なぜYouTuberのパイオニアと表現しているの?
単に動画を早く投稿していたからではありません。
リサーチ、スカウト、交渉、ロケハン、企画、撮影、インタビュー、編集、公開までを一人で行う現在の動画クリエイター型ワークフローを、2006年から実践していたためです。
正式な歴史上の「日本初YouTuber」を名乗るものではなく、現在のYouTuberの原形に近い制作スタイルを早期から実践していたという意味で使用しています。
当時の超人発掘列伝を見ることはできる?
ワッチミー!TV自体はサービスを終了していますが、Internet ArchiveのWayback Machineに一部ページが保存されています。
出演者名や当時の記事、動画コンテンツの存在を確認できます。
超人発掘列伝と現在の超人プロはどうつながっている?
発掘したパフォーマーを動画で紹介するだけでなく、テレビ、イベント、CMなどの仕事へつなげたいと考えたことが、パフォーマー専門プロダクション超人プロ設立の大きなきっかけとなりました。
現在も発掘、キャスティング、企画、演出、マネジメントという基本構造は受け継がれています。
まとめ|カメラ一台から始まった超人プロ
2006年。
まだ何者でもなかった私は、ビデオカメラを持って全国を回っていました。
会社もない。
大きな制作チームもない。
SNSもない。
スマートフォンもない。
あるのは、
「世の中にはまだ誰も知らない凄い人がいるはずだ」
という好奇心だけでした。
一人を見つける。
会いに行く。
話を聞く。
撮る。
編集する。
公開する。
次の一人を探す。
それを繰り返した結果、約60組100名超の才能と出会い、動画コンテンツはリアルイベントへ広がり、超人プロという会社が生まれました。
振り返れば、リサーチから動画公開まで一人で完結させていたあのスタイルは、現在のYouTuberや動画クリエイターの仕事に驚くほど似ています。
しかし、一番大切なのは「誰より早かった」ということではありません。
誰も知らない才能を、自分の足で見つけに行ったこと。
それが私にとっての原点です。
そして約20年後の今も、その仕事を続けています。
媒体が変わっても、技術が変わっても、超人プロの使命は変わりません。
まだ知られていない“本物”を発掘し、その才能が最も輝く舞台をつくる。
2006年に回し始めた一本のビデオカメラ。
そこから始まった物語は、まだ終わっていません。
―――――――――――――――――――――――――――――――――この記事の執筆・監修
PUSH-UP THE HERO🦾腕立て伏せ専門パーソナルトレーナー/プロ腕立てパフォーマー
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